ふとんと言いながらベッド派です。

大公開メモ、かつ自分の観察ノート

2日目の夜

昨晩ノリで始めたブログ。本日2日目。

今日は一番書きたかったことを書く。

 

ブログを書く行為が、現実逃避であることは重々承知だ。

でも現実逃避で意味わからないことするぐらいなら、自分の内面と向き合う方がマシだと思って。

なにより考えを表出しないと、狂ってしまうのだ。

 

小話を挟もう。

私のブログカテゴリーは日記、つぶやき、考え、といったものと、

記載した時刻によって、朝、昼、夕方、夜、深夜に分けて、二つの表現で表している。

 

私にとって時刻による分類は重要だ。

感情の日内変動が激しく、自分でもついていけない。

大体深夜は存在や命、人生について考えている。ネガティヴ。

起床直後もっともネガティヴ。

昼間は意味わからないぐらいポジティブ。

夕方から夜は攻撃的。

 

 

 

 さて、本題に入りますか。

 

大きな壁にぶつかっている。

壁は自分が作り出したもの。

他の人は辛くないみたい。

 

親からは、無理してまで挑戦してほしくない、もう伸び伸び生きてほしいと言われている。

 

しかし無理せず伸び伸び生きている人間など、この世にいるのだろうか。私は非常に疑問なのだ。

皆、何かしらモヤモヤを抱えて生きている。

無理せず伸び伸びしていいなら、むしろ私は人生を閉じたい。生きることが苦痛だから。逆に苦痛こそ生きることであるかもしれない。

 

俗にいうメンヘラと呼ばれる方は、リストカットすることがある。皮膚を切った痛みや、流れる血を見て、生を実感する、とか、落ち着く、とか、聞いたことがある。

 

苦痛で生きていることを実感している例だと思う。苦痛というか、目に見えない精神的な痛みを、目で見える外傷に変えている。痛みを違う種類の痛みで誤魔化しているというか、心の痛みからの、一種の現実逃避にもなる気がする。

ただ外傷のこわい(本来は良い)ところは、治れば痛みは消えることだ。体の痛みは消えても、心の痛みは消えない。心の痛みを言葉以外で表出する手段として、リストカットが行われているのだろう。

私が文献にあたってないため文献を出せないが、そういった議論になっているだろう。

 

 

私は人生やめたいというわりに、リストカットをしたことはない。人生やめたいってソフトに書いてますけど、普段は死んで楽になりたいって言っている。悩みが痛み。悩みにより与えられる苦痛で恐らく生を実感しているタイプ。

 

死に方はとっくに調べているし、知識は更新されている。メジャーなものから大掛かりだけど確実そうなもの、金がかかるもの。でも場所に行くぐらいで、未遂すらしてない。

 

大学生のころ、あるきっかけで死を願う病に取り憑かれてしまった。

色々な要因が積み重なっただけ、たまたまあの時だった。頑張り続けることが、できなくなった。治療が終わって随分たつ今も、頑張るということを、したくなくなってしまった気がする。

 

大きな病院で診断されて、薬を飲んで治療した。薬はよく効き、とても気持ちは楽になった。寝られるようになった。でも休むことへの罪悪感は消えず、気持ちは休んでいなかった。治療は無事終了した。かわりに重い10キロ以上の脂肪の鎧を身につけたまま、何年もずっと脱げずにいる。

治療は必要だったし、最適な治療を受けられたと思う。

 

治療はとっくの昔に終わったが、今、死への一種の熱意が再燃している。

この脂肪の鎧が脱げたら、私は生きたいと思えるようになるのだろうか。

どうしたら生への熱意を抱けるようになるのだろうか。

もはや死を願うことが日常すぎて、病気ではなく、ただの性格だと思うのだ。

 

ある期間、死と共にいた時期がある。

死を多く経験すると、死への考えが麻痺してくるようだ。

送るたびに思う、私がかわりにいなくなれれば。そんなこと考えても無駄なのに。考えることに疲れて、何も考えなくなったな。笑わなくなった。

 

今はまた違う状況。

 

きっと今、死に焦がれる病に罹っているが故に、罰として、今後本気で生きたい!と思っているときに、死が迎えにくるだろうと思う。

 

 

 

今は死に焦がれているが、わたしは実行には移さない、移せないタチだ。

本当に苦しい人は、ある日ある時突然、この世から消えてしまう。

消える度胸もない。

 

 

なぜ再び死に恋焦がれているのか?

生への絶望か。

いま首が回らない状況だからだろう。

八方ふさがり。

ただこの状況は自分が勝手に作り出したものなのはわかっている。

 

 

起きた後何時間かは絶望を感じ、食を拒否するが、夜から深夜にかけて、特に深夜、食欲の歯止めが効かない。

死にたい人は食欲が失せる。というか、以前病気だと診断された時はそうだった。基本形の食べられない、寝られない、考えられない、だった。

今はそれではない。

なにより文章を書けている。

私は生きたいのだろうし、病気にすがりたいのだろう。

そんな甘くないわな。笑

 

 

こういったブログを発信することに、恥も罪悪感も感じない。

社会に出て、いろいろ経験しているうちに、気づいたら、罪悪感が消えてしまった。

 

 

たまに自分が怖くなる。

 

やはり人間は感情の奴隷にすぎないのか。